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RACDAとは
1997年 岡山路面電車サミット開催 日本のLRT始動 | NPO法人 公共の交通ラクダ(RACDA)
- 2月8日-13日 グルノーブル路面電車市民視察団の派遣
岡山駅には逢沢一郎さんもお見送り。グルノーブルの通訳は画家さんだったローランドリース副市長、通訳は逢沢さんの紹介でストラスブールノ副領事
今でも世界一のデザインのユーロトラム、偶然事故に出くわし、先頭部のスカートがマジックテープで張られていることを発見。
5泊6日の強行軍の上、香港経由になるというハプニング。しかし広電3人、岡電とプロがたくさん参加した、理由は格安ツアー。「市民団体だから格安じゃなくちゃ」との斉藤副会長の企画、代理店のJRは泣きました。ストラスブールではローランド・リース副市長と会談、逢沢議員の根回しで日本の副領事が通訳。ツアーのビデオは500本製作され、日本のLRTの教科書となりました。山陽新聞夕刊でも連載されました。(岡)
- 3月9日 例会セミナー(ヨーロッパLRT視察報告)岡山駅前広場整備に対して緊急提言
- 5月30日-6月1日 第3回路面電車サミットin OKAYAMA 開催
全国から従来の路面電車事業者、愛好支援団体のほか、官公庁、議員、学者、ゼネコン、コンサルなど350名参加が参加し、約5倍の規模となりました。建設省、運輸省が本省として民間主体のイベントに正式後援した稀有な例。岡山電気軌道は会場で駅前乗り入れと市役所筋延伸の希望を突然発表するという、うれしい誤算もありました。当時の岡山市は、安宅市長の時代で、路面電車には全く興味を示していませんでした。懇親会で挨拶した宮崎助役は、「民間でおやりになったらいい」とのそっけない挨拶でしたよ。しかし3ヶ月後には岡山市は路面電車延伸の委員会を発足させます。サミットが大変な圧力になったわけです。サミットの総予算は1300万円あまり。商工会議所、岡電、岡山県、岡山市などの協力でできたのですが、岡山サミットで路面電車復活の流れが確固たるものになったとの確信が持てたのも事実です。しかしそれからが長いなあ。(岡)
- 6月10日 第2回「路面電車の」日記念・市民フォーラム開催(講師:水戸岡鋭治ほか)
このフォーラムの中で、水戸岡さんに低床車導入時のデザインを頼んでしまったのです。司会の田淵泰子さんは臨月間近の大きなおなかで、水戸岡さんに言い寄った、「ボランティアでやります」と水戸岡さんも言ってしまうんですよね。
それからストラスブールのローランド・リース副市長に来ていただくことになっていたのに、市長に昇格したため実現しなかったのです。(岡)
- 9月25日 RACDA設立2周年記念公開シンポジウム開催
(AMDA代表・菅波 茂、21世紅ひょうご創造協会域政策研究所・本田 豊
ヒューマンネットワーク熊本・村上 博)
- 10月5日 第3回ワンコイン(100円)電車の運転
- 11月2日 エコ・フェスタ開催(京橋朝市会場内)第4回ワンコイン(100円)電車の運転
- 11月15日 世界のLRTカレンダー制作
- 11月19日 アメリカ公共交通視察団出発
斉藤団長など 名、サンノゼなど訪問
- 12月1日 「路面電車サミット1997 in OKAYAMA」報告書作成
- 12月20日 「路面電車走行空間改築事業」創設が決定
1997.12.21付けの中国新聞によると、「市街地の交通渋滞緩和策[路面電車支援事業]の制度新設が認められた。対象は広島、岡山、長崎の3市で、全国枠の街路事業費2、740億円の中から路面電車路線延長、新設を検討する」との報道である。
(広島・路面電車とLRTの館、山根正則さんの私見) 我が国へのLRT導入促進運動をしている当会としては、このたび大蔵省から[路面電車支援事業制度]が認められたことが大いに意義があると考える。 対象の広島市は差し当たりはJR横川駅前の路面電車終点停留所のJR駅方向への接続改良と思われる。 が、いま論議真っ最中の’東西線は新交通か広電LRT新線建設か’の課題に、今回の決定は広電のLRT新線建設の方法へと追い風になるのではないだろうか岡山市は岡山電軌による環状線新設の計画が対象なるのであろう。 長崎では滑石地区への延伸案が対象であろうか。(山根)