第1弾 | 63 | 1 | 17 | 吉井川の曲がった鉄橋編 115系4両 | 瀬戸三谷金剛様 | 115系4両 |
第2弾 | 63 | 3 | 6 | さよなら連絡船&宇野線開業を懐かしむ編 115系6両、伊予丸 |
宇高連絡船 | 115系6両、伊予丸 |
第3弾 | 元 | 2 | 11 | 坊っちゃんの故郷松山を訪ねて編 14系3両+マイテ49-2 |
松山 | 14系3両+マイテ49-2 |
第4弾 | 元 | 5 | 27 | 生誕百周年百鬼園祭り特別阿房列車 | 東京・高松 | 特急瀬戸スシ24連結 |
番外 | 元 | 7 | 25 | ハイカラ坊っちゃん号 14系5両 | 松山-岡山 | 14系5両 |
番外 | 元 | 11 | 27 | 阿房飛行 グライダー等3機 | 岡山-松山 | グライダー等3機 |
第5弾 | 2 | 5 | 19 | 菅田庵の松江を訪ねて編 14系5両マイテ49-2 | 大阪-松江 | 14系5両マイテ49-2 |
番外 | 2 | 11 | 11 | 三谷金剛様百閒句碑建立 一般列車 | 瀬戸三谷金剛様 | 一般列車 |
第6弾 | 3 | 3 | 24 | 春光山陽特別阿房列車・文学の町尾道を訪ねて編 EF58-150+マイテ49-2 | 尾道 | EF58-150+マイテ49-2 |
第7弾 | 3 | 9 | 14 | 肥薩線のスイッチバック、ループを楽しむの編 寝台特急など | 東京-八代 | 寝台特急など |
第8弾 | 4 | 4 | 17 | 房総快走鼻眼鏡編 一般列車 | 房総半島 | 一般列車 |
第9弾 | 4 | 11 | 14 | 宮島・江田島ずっこけ編 EF58-150+マイテ49-2 | 宮島・江田島 | EF58-150+マイテ49-2 |
第10弾 | 5 | 4 | 2 | ミステリー東京駅長岡山視察列車の編(まあだだよ)EF58+ゆうゆうサロン | 東京-岡山 | EF58+ゆうゆうサロン |
第11弾 | 5 | 11 | 14 | 三谷金剛様紅葉狩り号 115系4両 | 瀬戸三谷金剛様 | 115系4両 |
第12弾 | 6 | 5 | 28 | 雪なし新潟阿房列車の編 一般列車 | 新潟 | 一般列車 |
第13弾 | 6 | 10 | 2 | なんでも知ってる大津編 EF58-150+マイテ49-2 | 大津 | EF58-150+マイテ49-2 |
第14弾 | 7 | 11 | 25 | 土佐電鉄夢の阿房電車 フェスタ3両、ドイツ市電 | 高知 | フェスタ3両、ドイツ市電 |
第15弾 | 8 | 3 | 9 | 華麗なる錬金術旅行・湯河原の天野屋を訪ねる旅 一般列車 | 湯河原 | 一般列車 |
第16弾 | 8 | 11 | 10 | 三谷の金剛様と吉備津神社両参りコンサート電車 キハ58系2両 | 瀬戸・吉備線 | キハ58系2両 |
第17弾 | 10 | 10 | 31 | 高岡万葉線阿房麦酒電車の旅 雷鳥等、氷見線貸切 | 高岡 | 雷鳥等、氷見線貸切 |
第18弾 | 11 | 11 | 14 | 三谷の金剛様歌声列車の巻 115系4両 | 瀬戸・三石 | 115系4両 |
第19弾 | 14 | 11 | 7 | 三谷の金剛様もみじ列車の巻 115系4両 | 瀬戸三谷金剛様 | 115系4両 |
第20弾 | 16 | 11 | 14 | 吉備線100周年便乗と岡電KURO麦酒電車編 キハ58系2両、クロ | 吉備線 | キハ58系2両、クロ |
番外 | 21 | 5 | 29 | 御馳走帖阿房電車 岡電MOMO | 岡山電気軌道 | 岡電MOMO |
第21弾 | 21 | 11 | 8 | 三谷の金剛様120年目のお参り列車 一般列車 | 瀬戸三谷金剛様 | 一般列車 |
第22弾 | 22 | 6 | 12 | 宇野線・宇高航路100周年記念(直島銭湯)編 213系2両 | 宇野・直島 | 213系2両 |
第23弾 | 23 | 12 | 11 | 山陽線120周年記念、文学と映画の町・尾道編 213系2両 | 尾道 | 213系2両 |
第24弾 | 25 | 3 | 20 | 内田百閒流こだわり食のたび、吉永いのちねの旅 213系2両、犀バス | 吉永 | 213系2両、犀バス |
2023年 2月
平成5年オカニチ連載
「まあだだよ 内田百閒回顧」 百鬼園倶楽部会長 岡將男
第1回 文壇の借金王 文章抜群だが売れず 10円使い5円借る
内田百閒てどんな人? …とよく聞かれる。巨匠黒澤明監督が「まあだだよ」を撮って、四月十七日から全国で公開するというのに、肝心の主人公百閒先生の実像は、出身地岡山ではちっとも知られてはいない。よそから来た人に聞かれても困らないよう、まずは十回程のこの連載を読んでおいてほしい。
百閒は夏目漱石門下の作家である。いわゆる小説の大作がないので、文学史上の評価はまだまだ定まっていないが、随筆のうまさでは群を抜くものがある。文壇へのデビューは大正十一年の創作集「冥途」によったが、漱石の「夢十夜」よりうまいといわれる幻想的心象風景を描いたこの作品は全く売れなかった。
友人の芥川龍之介は「冥途」を高く評価し「なぜ皆百閒の作品を求めない」と書き残して、その一ヶ月後に自殺した。百閒は芥川の次の作品の腹案を聞いていて、芥川の死後に代作しようかと思うほどであった。
百閒の文章力は、既に岡山中学校時代に、田山花袋の主宰する「文章世界」において何回も入選していることからも類推できるが、第六高等学校(現岡大)時代に、志田素琴先生のもとで俳旬に没頭したことによってさらに磨きがかかったようだ。
大正五年に漱石が亡くなるまでに、芥川の方は既に文壇に登場していたが、百閒はまだ作品を発表する機会を得ていなかった。漱石死後、その全集の編さんに主体的にかかわったところから、百閒が漱石文学のすべてを理解し、継承したことが予想される。
百閒が有名になったのは「百鬼園随筆」においてであって、それは死の直前まで四十年近く書き続けられた。あの「阿房列車」シリーズもその一つである。「百鬼園随筆」の成立には、漱石門下の森田草平が深く寄与している。「『冥途』のようなものよりも、日ごろの冗談を文章にした方がよっぽどおもしろいし売れるだろう」と予測し、そしていわば百閒売り出しにピエロ役を演じたのが草平であった。
草平は百間を,「文壇一の借金王」と呼び「借金を楽しんでいる」と書き、百閒はそれを受けて「無恒債者無恒心」、即ち借金のない者は心が貧しいと言い切ったのである。
草平は「五円借りに来るのに十円使って一等車や人力車に乗ってくるやつ」と百閒を語った。その話が人の興味を引き、昭和八年「百鬼園陪筆」は大ヒットとなったのである。だが、そこに至る過程というのは並大抵のものでなく、古里岡山へ帰ることさえできなくなっていた。
岡 将男(おかまさお)昭和52年東京大学経済学部卒。59年から中国食品工業常務取締役。国鉄ホバークラフトを京橋へ就航させる運動を提案。60年1月には岡山未来デザイン委員会を設立。62年から内田百閒生誕百周年記念事業を推進し、現在百鬼園倶楽部(内田百間顕彰会)会長。趣味は鉄道模型、
飛行機、古代史(岡山の古墳とシルクロード)。38歳。
第2回 三つ子の魂 お金に無頓着治らず 残った財産は著作権
百閒がなぜ借金をするようになったかというと、稼ぎ以上に使ったからとしか言えない。百閒の生家は岡山市古京町の造り酒屋「志保屋」で、父久吉の代に身代は大きくなって、その一人息子である榮造(百閒)は何不自由なく育った。丑(うし)年生まれの榮造は、牛のおもちゃが好きだというので、家の者は早速本物の牛を平島(岡山市)から連れてきて、家の中に牛小屋まで作ったという。百閒生家前の文学碑の上の牛のブロンズ像はそれにちなんでいる。
父親は明治の二十年代に、榮造を慶応の幼稚舎に入れようとしたというから、今でもそんな教育熱心な家庭も少なかろう。ところが百閒が岡山中学校の時に店はつぶれた。「泡沫一朝でお店はつぶれ、私は文士みたいなことになりました」と彼は書いている。
しかし、店はつぶれても祖母の持参金のようなものがあったとかで、六高時代にも夏の避暑に明石に滞在していて、毎日レモネードを飲んで支払いがたまって、あわてて送金してもらったりする。
初めて質屋に行ったのは旧制六高に入る直前で、京都の宿屋にチップを払い過ぎて、帰りの旅費が二銭足りなくなり、琴の本を質へ売ったのであった。福武文庫の『大貧帳』の「二銭紀」という文章はぜひ読んでいただきたいものである。
東大入学後、早々に結婚し、子供が次から次ヘとできて、母祖母を呼び寄せて、後の大貧乏の根本ができあがる。漱石の奥さんは、あまりよく百閒が借金に来るので「百閒」というベンネームは、漱石が借金の音をもじってつけてやったものと思い込んでいたという。もちろん岡山の百間川からきているのだが大学卒業後、陸軍士官学校の教官になったが、家中がインフルエンザにかかって、看護婦を雇ったら、その支払いが月給より多かった。芥川の紹介で海軍機関学校の兼務教官となり、さらに法政大学の教授までやって、今でいえば年収二千万もあっただろうと思われるのに、毎晩学生を引率して牛鍋屋に繰り込み、その支払いが月給を超えていた。
不足は借金でまかなわれ、高利貸に追いまくられて、ついに大正十四年に家を出て独居生活に入った。昭和二年、後のこい夫人と同居するいわば二重生活であり、十一年には最愛の長男久吉を肺炎の手遅れで失う。
借金や家族との相克。百閒文学の成立には大変なお金と、家族や友人知人の涙が関与しているのである。しかし、亡くなる時、百閒には借金も資産もほとんどなかったが、唯一著作権という財産を残してしまう。皮肉なことである。
第3回 百閒の阿房 列車で弥次喜多道中 1等切符で食堂車直行
私たちは、百閒の生誕百年を祝うためのイベントとして「故郷阿房列車」を走らせた。昭和六十三
年のことで、レトロファッションでの参加者の姿が印象に残っていると思う。百閒の代表作といえばやっばり阿房(あほう)列車」で、九州のある人が「漱石の猫、百閒の阿房」と言ったという。
「阿房」とは、秦の始皇帝の建てたとんでもなく大きな宮殿「阿房宮」からきていて、おそらくは「阿保」の語源なのであろう。阿房列車の始まりは、昭和二十二年の十月に、国鉄の平山三郎さんをお供にして、特急「はと」に乗って大阪に行ってきた旅である。
「阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう言っただけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。(略)なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思ふ」。(『特別阿房列車』)
用事のない旅だから一等でゆく、帰りは帰るという用事があるから二等でもいいが、あいまいな二等には乗りたくないという。もともと汽車は大好きで、明治四十三年の宇野線開通の時には、初乗りをして宇野ではホームから出ずに引き返した。時刻表を眺めていると夜のふけるのも忘れるほどであったという。
さてヒマラヤ山系(平山三郎氏)との全国行脚は、まるで弥次喜多道中である。平山さんがポケ役で、百閒が繰り出す理路整然としたへ理屈を軽くいなしてしまう。紀行文とはいっても、平山さんがいなかったら名作「阿房列車」は生まれなかっただろう。
汽車に乗った百間は、何にも用事がないわけだから、食堂車に行ってお酒を飲む。平山さんも百閒に匹敵する酒豪だから、食堂車で五時間も六時間も粘る。一等の切符を苦労して取ってもほとんど役立たない。食堂車や駅弁は大好きで、汽車で食べるとスピードという味付けがあると言う。
昨今のデパートの駅弁大会など、百閒ならけしからんと怒るかもしれない。それにも増して、この十八日からのダイヤ改正では、ブルートレインから食堂車が消え、最新鋭の「のぞみ」には初めっから食堂車がないのである。まるで用事のない者は汽車に乗ってはいけないといわんばかりである。
用事がないから、百閒は観光などしない。してはならない。温泉にも行かない。「人がもうけようと思って待っているような所へ行けるか!」というのである。現代の観光ツアーや観光産業の関係者は、ぜひ阿房列車に親しんで、人のもてなし方を研究してほしいと思う。
第4回 東京名誉駅長 阿房列車が縁で 委嘱と解任の2つの辞令
阿房列車シリーズの随筆は大ヒットとなり、特別阿房列車のあと区間阿房列車で沼津あたりを行ったり来たりしたり、鹿児島の方にも足を延ばした。九州では八代の松浜軒というのが気に入って、前後九回も訪ねることになる。
松浜軒は八代藩主の別邸で、庭が大変きれいで趣があった。戦後の一時期旅館をやっていたが、百閒が平山三郎さんと行った時には、いつも他には客はいなかったという。昭和三十三年に最後に訪れた直後、お客がいなければ、当然といえば当然ながら旅館は廃業となった。
一昨年の秋、雲仙の普賢岳が大鎮火を起こした日に、われわれは東京から八代に阿房列車を走らせて松浜軒を訪ねた。松浜軒の主人は熊本の出水(いずみ)神社の主の松井葵之さんで「出水神社は水前寺公園の中にあるんですってね」と言ったら「いや、出水神社の中に水前寺公園があるんです」と言われた。
松井家は、肥後熊本細川家の筆頭家老の家柄で、一国一城制の下でも三万石の大名格で八代城を持っていた。ちょうど岡山の虫明藩二万石の伊木家が、池田家の筆頭家老であったのと以ている。ちなみに現当主の松井さんは、あの日本新党の細川さんのいとこだということであった。
松浜軒を百閒が気に入ったというのも、至れり尽くせりのサービスがなくて、ほっといてくれたからであろう。自由人であった百閒には、宿の過度のサービスは干渉と映った。
八代は何回も行ったが、東北、四国、松江、新潟など、合計二万五千八百三十八キロもの「用事のない旅」をした百閒、無那気なようにみえて、実はとんでもない主張をしているように思える。戦前の精神主義の良い部分も悪い部分もすべてかかなぐり捨てて、ひたすら物質的繁栄を求め始めた、日本社会に対して、彼は「用事のない旅」でささやかな抵抗を試みたと私は考えている。
阿房列車運行がきっかけとなって、昭和二十七年の鉄道八十年に、百閒は東京名誉駅長に委嘱された。気難しい百閒さん、「辞令をもらったら、一日だけではやめませんよ」と答えた。「解任の辞令も用意しておかなければいけないよ」という。この解嘱状というのが今回寄贈された遺品の中から出てきた。その百閒名誉駅長、大好きな展望車を見送るのは嫌だと、出発合図もせずに「熱海駅の施設を視察」に出かけてしまう。きょう、東京から出るわれわれの阿房列車は、このエビソードを再現しようというのである。
第5回 百閒のグルメ・猫・琴 ぜい尽くした晩さん 学生時代から琴を弾く
「世の中には何でも知っているバカがいる、大学の研究室なんかには…」と言う。もともと法政大学の教授の百閒先生だが、私は百閒ぐらい何でもよく知っている人はいないと思う。
彼は知っているだけでは駄目で、それを忘れたところに味があると言う。情報化社会の現代人にとっては考えさせられる一言である。情報というものは、すべてだれか人の作ったうわさ話にすぎず、肝心なのはその情報を選別する判断力にあると彼は考えていた。
百閒は時代の流れに動じることのない確たる自分の見識を常に持とうとした。彼の作品のユーモアは、時代の流れと彼の考えの微妙なずれが醸し出すものであって、百閒を奇人変人扱いする人も多いが、おかしいのは時代の方であると私は思う。
奇人変人も多数決の論理の産物であって、私なども人と変わったことばかりしようとするので、若干変わり者のように言われるが、本人は至ってまじめなつもりである。
さて話が少しくどくなった。百閒は六高時代から琴に規しみ、大正八年に琴の名人宮城道雄と知り合い、たちまちのうちにお互の心の奥に潜むちゃめっ気を刺激しあって、大の仲良しとなった。百閒が盲目の宮城に文章を教え、宮城は琴を教えるのだが、二人である時講演に招かれた際には、百閒が琴を弾き、宮城が講演をしたという。
また、百閒は宮城道雄たちプロを客に呼んで、桑原(ソウゲン)会という演奏会をやった。クワバラクワバラという訳だ。空襲で琴を焼いたあと、岡山の岡崎の眞さんから琴を送ってもらっている。
親友の富城道雄が、刈谷駅で事故死した後「東海道刈谷駅」を出版している。先日のわれわれの阿房列車でも、夜中に全員刈谷駅で起きて追悼式を行った。
百閒は大変な食いしん坊であった。岡山の大手饅頭は目の中に入れても痛くないほど好きで、カビが生えてもふかし直して食べた。二年前、雑誌サライが百閒流グルメを特集したら、二十頁にもなった。毎朝まず起き出したら、その日の晩餐(ばんさん)のメニューをメモにする。奥さんは大変だったろう。朝は牛乳と英字ビスケットと果物。昼はザルソバ。空腹を押さえておくだけで間食はしない。そして夕食は材料を吟味した十二、三品。おぜんに右へならえと号令してゆっくり食べる。一日が晩餐のためにある。
そしてお酒にビール。「美食は常食にあたわず」がモットーである。うまい酒をもらって「いつも飲めない上等な酒は、もらっても困る」と言う。ぜいたくというものも禁欲あればこそ味があるというわけであろう。
第6回 スポーツ航空の草分け 訪欧飛行の先見性 嘱託で7回船旅も経験
昭和四年というから、今から六十年も前に内田百閒は法政大学航空研究会の会長に就任した。他校にないスポーツを始めようという学生の発案に、多くの教宮が「君子危きに近寄らず」と言っていたのだが、百閒は「危きに近寄ろう」という気持ちがむくむくと起こったという。
当時はまだ航空界の創生期であったが、陸軍も潜在的軍事力の育成という点から学生航空の必要性を感じており、練習用の飛行機を払い下げてくれた。百閒先生は東奔西走して航空研究会の発足に努力し、さらに六年には、学生による訪欧飛行を計画するのである。
飛行機そのものが珍しい当時、純粋にスポーツ航空を目指そうというのだから、その先見性は素晴らしいものがある。私は岡山の岡南飛行場を残す運動に少し関係したが、今でもスポーツ航空への偏見はかなりあると思う。訪欧飛行用には、青年日本号を特別に作り、栗村盛孝が教宮の指導のもと、開港直前の羽田飛行場を離陸したのは六年五月二十九日、百閒の誕生日であった。
青年日本号は、羽田の最初の離陸飛行機となった。その日羽田には五万人の見物客が集まり、内田会長の白旗の合図で離陸滑走を始めた。百閒が今でいえば、一流のイベンテーターであるということがお分かりいただけよう。
青年日本号は三度の不時着にもめげず、無事ローマに到着し面目をほどこした。汽車好きというのも、当時の先端技術ヘのあこがれから始まっているのだが、飛行機にしても新しい物への好奇心がおう盛であったからここまでのめり込んだのであろう。
空の次は海だが、百閒は十四年に全盛期の日本郵船の嘱託となり、その縁で七日も豪華客船の旅を経験している。会社の文章の直し役という暇な仕事だったが、律義に毎日出勤し、ボーイ付きの部屋を与えられたその部屋が六四三号室であり「無資産(むしさん)」通じると言われて結構喜んでもいる。
船に乗るのが仕事ではないのに、やたらと便乗してその模様を文章にした。阿房列車の用事のない旅は、一足先に船で実現している感じである。
新造船新田丸について「新田丸問答」という解説を書いたり、新造船八幡丸の処女抗海に乗ったり、わずか二年の間に七日も船旅を楽しんだ。
だが戦局風雲を告げ、新田丸など多くは太平洋戦争開始後に徴用されて空母に改造された。新田丸(空母沖鷹)は十八年、八丈島沖で撃沈され、百閒の愛した豪華客船時代は終わったのである。
第7回 人柄偲ぶ品々一堂に 百閒追悼展の遺品 愛用帽子や恋文、表札
作家の遺品というのは、関係のない人には何ともなくても、ファンにとってはよだれが出る程欲しい物である。初版本や原稿は言うに及ばず、財布や帽子までコレクションの対象となり得る。だが、これらを個人が所蔵したとしたら、その人が亡くなればたちまち分散してしまう恐れがある。
岡山では平成元年の百閒生誕百年の時に、三光荘(岡山市百京町)の百閒コーナーがオープンし、この時百閒の弟子の中村武志さんの所有する初版本や百閒のプロンズ像、書などが購入され展示された。
百閒コーナー開設については、三光荘のシンボルとして作るべきだと私が長野知事に提案したのだが、以後百閒については岡山県郷土文化財団が中心となって収集を行ってきた。
百閒の友人であった岡崎の眞さんの所に、たくさんの初版本があると、現岡山瓦斯社長の岡崎彬さんから連絡を受けてお邪魔したところ、署名入りの本が長年の塵(ちり)にまみれて倉の中にあった。そのほとんどは財団に寄贈していただいた。
岡崎さんの所にはまだ未公開の百閒の手紙が八十通も残っている。百閒の遺族の三女の美野さんの所には、百間が清子夫人にあてた恋文が残されていて、公開するかどうか何十年も迷われた末「恋日記」として出版された。この恋文と中学時代の日記なども財団に寄贈された。
一昨年の夏、われわれ百鬼園倶楽部の東京支部の方々が、平山三郎氏夫妻を囲んで東京の百閒旧居近くのうなぎ屋「秋本」に集まった。食いしん坊の百間が、ここのうなぎを気に入って「大の月の内二十九日も食べた」というその店である。
この時、百閒の二人目の夫人で、四十年も百聞の身の回りの世話をされたこいさんの妹のち江さんがいらっしゃっていた。「百閒の使っていた物がたくさんあって岡山の方に差し上げたい」とおっしゃるので、それでは財団の方にぜひ寄贈して欲しいとお話しした。財団の高山雅之さんの丁重なお手紙に感激されたち江さんは、たくさんの遺品を岡山へくださることになった。
百閒の愛用した帽子や服、毎日のお膳のメモ、たくさんの初版本、「日没閉門」の札や表札。その多くは一度黒澤プロが、映画「まあだだよ」で参考にするため借りていたという。だからやっと今年になって岡山に贈られてきた。
今回天満屋で開かれる追想展では、これらすべてを見ることができるほか、百閒旧居の再現も試みられる。また会期終了後は、吉備路文学館での特別展も開かれる。私は当初から「内田百閒記念館」を作れたらと思っていたが、中に入るものはもう十分そろったようである。
第8回 先生はオアシスだ まあだだよの摩阿陀会 慕う学生と酔って騒ぎ
黒澤明監督の三十作目「まあだだよ」の封切がいよいよあすに追ってきた。黒澤は以前から百閒を読んでおり、いつか映画にしたいと考えていた。「夢」が公開された時、百閒の初期の幻想的作品群を意識しているのではないかと思ったが、今回発売された黒澤自筆の絵コンテ集の中で、百閒作品からヒントを得たと語っている。
「まあだだよ」の主人公は内田百閒である。百閒は自分の学生たちをとてもかわいがり、学生たちに終生慕われた。若千ベチャベチャしているように思われるかもしれないが、百閒という人間の魅力にとらわれた彼らにとって、百閒は「オアシス」のような存在であった。映画宣伝のコピーに「今、忘れられているとても大切なものが、ここにある」とあるが、百閒についての感想として私も同感である。
映画を見たちょっと年のいった人々は、皆一様に昔の教育の持っていた素晴らしい部分を思い出し涙ぐむ。その感動を、よく分からない若い人々にちゃんと伝えてほしいものである。師弟愛という概念の復活が、教育改革のポイントだとも思う。
さて百閒は、昭和二十四年に還暦を迎え、弟子たちが祝宴を開いたが、翌二十二年、百閒がまだ生きているというので「摩阿陀会(まあだかい)が開かれた。百閒も命名の名人だが、その指導よろしく弟子たちもなかなかユーモアに富んでいる。
会はまず、百閒先生のビールの一気飲みに始まり、続いて百閒の演説がある。「…何しろお忙しいところを、お忙しくなかった人もありまして、誠に相済まぬ事であります」などとやる。酔ってしまえば参加者は百閒も含めて昔のいたずら学生時代に戻ってしまうから大変なにぎやかさである。
古い歌を百閒が独特のかん高い声で歌ったり、ある者は稚内から屁児島への駅名を暗唱したり、あまりの騒動にM Pまでのぞきに来る始末であった。
「摩阿陀会」は、百閒一人が招待されたわけだが、対になる御慶(ぎょけい) の会は、百閒一人で全員を招待するのだから錬金術も大変だった。年末になるとまだ書いてない原稿料を前借りして、 一月二日の会に備える。会そのものはやっばり「摩阿陀会」と同じ大騒ぎとなる。
両方の会は、そのほとんどが東京ステーションホテルの藤の間で行われた。百閒の会は夕方から始まって十一時ごろまでと大変長く、ボーイも「決死隊」が出る程であった。
全体の半分が宴会の模様を撮った「まあだだよ」、さぞかし撮りにくかったろう。巨匠黒澤明氏がどう撮ったか、まずは映画館にてこ覧ください。
第9回 2人の夫人が「献身」 百閒の家族 大切な人の死を作品に
内田百閒の随筆には、ほとんど家族のにおいがない。特に晩年の作品では家族生活というのは欠如していて「家の者」という表現しかない。百閒に子供はいなかったと思い込んでいる人もいるぐらいである。
百閒は中学時代の友人堀野寛の妹、清子と恋愛をしてまだ学生時代の明治四十三年に結婚した。翌年長男久吉が生まれ、長女多美野、二男唐助、二女美野、三女菊美と五人の子ができる。
百閒はお婆ちゃん子で、甘やかされて育ったから、常にだれかが身の回りの世話をやかなければならなかった。幼いころは祖母と母と婆やの三人がかりであった。
大好きな父久吉の死は、百閒の一生に大きな影を落とした。今回発見された百閒の資料の中に、その父親の肖像画があって大切にしていたのがよく分かる。懐かしい父親のことを何回も作品の中で書いている。
祖母たけは、百閒と直接血のつながりはなかったが、しっかりした人で百閒をとてもかわいがった。その祖母が亡くなり、百閒は非常に大きな精神的支柱を失ったようである。
百閒という人は、大切な人の死の悲しみを、文章にすることによって乗り越えてゆくような感じがある。父の死、漱石の死、弟子の長野初の死、息子の死、親友宮城道雄の死、さらには猫のノラやクルツに至るまで、死を見る悲しみのエネルギーが作品を生んでいるかのように見えてくる。
だが、祖母たけの死については、なぜかほとんど語っていない。最初の妻。清子は子育てに追われ、百閒は借金に追われ、大正十四年ついに百閒は家を出て早稲田の安宿に逃げ出すのである。そのうち昭和四年になって佐藤こいと同居する。
こいは芸者であってぃ随分と年は離れている。しかし、どうもいわゆる二号邸に移ったというのと感じが違い過ぎるのである。第一百閒は当時食べるのにも困っていた。二女の美野さんによれば、これはもうある種の仕事場、書斎を持ったと考えてもよいという。事実、百閒は二つの家を行き来する。
昭和十一年長男久吉が、肺炎をこじらせて亡くなり、その悲しみを「蜻蛉眠る」に書き綴ったところから、清子との交流は止まる。このころ既に百鬼園随筆で有名作家となっていた。
映画「まあだだよ」に出てくる奥さんとは佐藤こいであったが、実は昭和三十九年に清子夫人がなくなるまで戸籍上百閒の妻であった。四十年もじっと黙々と子供たちを育て上げたのである。清子夫人亡きあと、こい夫人は入籍されてやっと正式な妻になる。清子夭人とこい夫人の二人の献身が、百閒文学を生んだとも言えよう。
第10回 それぞれの「百閒像」 映画「まあだだよ」を見て 作品読んで魅力を知って
先週いよいよ百閒を主人公にした映画「まあだだよ」が公開された。黒澤明監督の三十作目であるとか、所ジョージが出てることが強調されて、主人公が百閒であることが薄れているようである。私の感想としては、とにかくかなり百閒らしい部分は描けていると思うが、百間はもっと複雑で威厳があったかもしれないと思う。映画化が決定して一番に思ったのは、黒澤明氏自身が主役をやったらいいというこ
とであった。
映画界における黒澤の存在は、まさに巨匠以上のものがある。黒澤天皇という言い方さえある。今回の映画を通じて私は少なからず映画界のことを知ったが、黒澤組といわれる黒澤監督とスタッフ俳優たちの関係は、百閒とその弟子たちの持っていた絆に実に良く似ていて、だから黒澤には威厳があるのだし、いつまでも映画制作の意欲を持ち続けられるのだろう。
黒澤は昔から百閒の作品を読んでいたという。私は前々作の「夢」を見て、百閒の作品の陰を感じていたが、黒澤自身そのことを絵コンテ集の中で語っている。黒澤は「映画は映像で見せるのであり、その意味で百閒先生を描いていても、やはり私自身の描く百閒像に違いない」と、他の対談でも言っている。
百閒の熱心なファンは、黒澤が百閒を材料に映画を撮ると知った時、妙なさみしさを覚えたものである。自分たちが数々の文学遍歴の後、やっと堀り当てた鉱脈を、ずかずかと踏み荒されたような気がしたのである。百閒の作品は、ネタそのものも面白いが、その話は独特の悲哀のベールに包まれている。ちょっとした光の当て方によっては、紫にも赤にも青にも見えるような多面性を持っている。
だから百閲フアンは、それぞれの百閒像を持っていて、必ずや黒澤の描ちょっと百閒像とは異なっている。「あれは百閒じゃない」と言いたくもなる。
戦前、既に百閒は映画や演劇になっており、その時百閒は「映画を見て、自分が全くその通りだと思われるのは意外だが、自分の作品から筋を作ることができるのは、自分の文章がまだ未熟だからだろう。映画には映画の求める理想があるだろうが、このうえはぜひ自分の文童を読んで欲しい」と言っている。
「まあだだよ」を見て、また、私のこの連載を読んだり追想展を見て百閒に興味を持った方は、ます百閒の作品を読んで欲しい。そしてあなたの百閒像をつくって欲しい。その心の中の百閒は、きっと日常生活の中でキラリとした光をあなたに与えてくれるであろう。(おわり)令和2年5月17日修正
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故郷阿房列車(1987~2013)からMOMOでワイン電車 & ビアガー電へ (2008~)
■岡山が生んだ作家・内田百閒の「阿房列車」はRACDAの活動の原点でもある。日本初の鉄道オタクとも呼べる百閒は「用事の無い旅」で全国を駆け巡り、現代に通じる鉄道の旅の楽しみ方を顕わした。
■1987年以来内田百閒顕彰会である「百鬼園倶楽部」では、展望車マイテ492などを使った「故郷阿房列車」を24回貸切運行。「東京岡山16時間38分、お急ぎの方はのぞみ3時間15分をご利用ください」とのキャッチフレーズなど、食堂車が大好きな百閒に因んだご馳走を楽しみながら、時には貨物列車にも追い抜かれて喜ぶような、急ぎすぎる現代社会への痛烈な批判を内在しつつ、レトロファッションコンテストに興じたりもした。
■内田百閒全作品を収録した旺文社文庫の廃刊後、福武書店(現ベネッセ)に文庫本の発行を依頼した。「贅沢の意味を知っている作家」とも言われる百閒、今やその阿房列車精神は、全国100以上のグルメ列車に反映されて、鉄道の旅の楽しみ方を広げている。
2023-0226Facebookコメントより
■日本は明治以来、鉄道を使って国家を発展させ、今もって東京大阪など大都市圏は鉄道に支えられている。だが地方都市圏では鉄道バスは無くても、自家用車があるから、困らないと誤解している人も多い。
■しかし、鉄道の登場によって、明治時代には地方都市への集住が実現し、夏目漱石や与謝野晶子は、鉄道を使って全国に講演行脚をする事が出来た。さらに全国の景勝や温泉地も賑わい、今日の観光需要が発生した。国立公園などもその流れで登場したものだ。
戦後は道路網の整備とともに、路線バスが発達し、元々細長い国土の日本の隅々まで観光バスが走るようになった。食堂車も駅弁もこうした観光需要を支えた。
■昭和40年代のモータリゼーションはさらに気楽に、個人レベルでの旅行の可能性を拡大し、飛行機も登場し、これら鉄道・バス・自家用車・飛行機それぞれの交通モードの特長が生かされていた。
僕は「鉄道文化」とか「バス文化」とか呼んでもいいと思う。
■さてここでRACDAの創立時の幹部は、内田百閒顕彰会である「百鬼園倶楽部」の幹部が半分いた。百閒にちなんだ故郷阿房列車を24回運行。新幹線から食堂車が消えていく時期、我々は
「食堂車にはスピードという味付けがある」
とのたまう百閒を顕彰し。分割民営化当時のJR岡山支社と、展望車などを貸し切って全国を走らせた。
さらに路面電車MOMOの導入時に、JR九州の電車をデザインしていた水戸岡鋭治さんにデザインを頼んで、いまのワイン電車などに繋がる。こうして今や全国にグルメ列車が100以上走るようになった。とりあえず、阿房列車精神の蔓延には成功した。9年前、月刊サライは、グルメ列車特集では、岡山でのこうした動きを取り上げてくれた。
■内田百閒が語っていたのはまさに「鉄道文化」ということだ。単なる輸送機関というだけでなく、鉄道の旅そのものを楽しむ価値を「阿房列車」の中で語っている。
■同様にバス文化も、自家用車文化もあり、その特性を生かした人々の生活があるはずだ。交通モードは何でも一緒というわけではない。
我々は百鬼園故郷阿房列車以来ラクダまで、一貫して交通の、都市や文化、地域や国全体、さらには経済に対する影響を考え論じてきた。ただ百閒は「人が儲けようと待っているような温泉には行かない」という。「みんなが行く、江ノ島・日光・箱根には行かない」とものたまう。実質的に松江に招かれたときも、「取材旅行ですか」という新聞記者の質問には、つむじを曲げ、「それはあとのこと」とも言う。松江市役所の漢東種一郎さんが、不昧公の菅田庵にお連れしたところ、「不昧公には用は無い」と引き返してしまう。
また、新幹線ができようとするとき「そんなに急いでいたら、人はいつも移動ばかりしているようになる」とも言う。まさに出張の連続で仕事していることになっていたビジネスマンへの痛烈な批判にもなっている。コロナ禍で、我々は少しそうした矛盾に気が付き始めている。
こうしたエピソートをヒントに、スマートな地域振興と観光を考えてみるのもいいだろう。
ラクダのワイン電車。ビアガー電運行の契機
鉄道から食堂車が無くなったと知ったら、百閒は悲しんだろう。
「食堂車には、スピードという味付けがある」
と百閒はのたまう。冷めたご飯の駅弁がおいしいのは、やはり車窓をみながら、旅という非日常空間を楽しむことが、味付けになっているからにほかならない。
そこでRACDA主催の岡山駅前電停を発車する「ワイン電車」(独自)「ビアガー電」(熊本市交通局の商標登録有り)が始まった。新幹線の食堂車が無くなったから、それでは路面電車で食堂車をやろうという反骨精神だ。毎週金曜日の夜、水戸岡鋭治デザインの世界一おしゃれな内装で知られるMOMO2を使用して運行されている。MOMOのデザインのとき、水戸岡さんに『恋の生まれるようなデザインにしてください』と頼んでいた。また、ワイン電車の運行を想定してあちこちにグラスを置く台を作って頂いた。これも百閒の影響だ。市民団体が運行するのは、日本一短い路面電車軌道を延伸するための、市民啓発活動の一環として、路面電車を楽しんで貰うことを目指しているからだ。
■ワイン電車等は2007年から運行を開始し、半分は全車または半車の貸切に利用されている。(コロナ下では運休、2019年までに304便、6465人)ライブ演奏も入り、音楽も楽しめる。2011年導入のMOMO2では各座席に飲食用のテーブルが装備されており、「基本的には飲食禁止の路面電車」の常識を打ち破るものである。(熊本市交通局COCOROも同様の内装)もちろん、通勤時、多客時には飲食しないというのがマナーなのだがちょっとおしゃれなMOMOに乗ってランチするのはありかも。
赤字鉄道、存続の秘訣は富山県「万葉線」で学べる | ローカル線・公共交通 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
■新潟市市内バス無料デー 11月10日(日曜日)新着2024-1022
■よなご公共交通ふれあいフェスタ・運賃無料デー 新着2024-1019
■バス電車無料デー 利用者が最大1.7倍の15万人超 長崎市分析「潜在需要が判明」新着2024-1018長崎新聞社
■バス・電車100円ウィーク 熊本 2024-0205 熊本市
■赤字の北上線、JR東で初の「無料」乗車キャンペーン…駅長「普段はないにぎわい」2023-1115 読売新聞
■岡山市~岡山県北・真庭市間も200円に…岡山市が”路線バス運賃最大200円キャンペーン” 2023-1024 OHK
岡山市は公共交通の利用促進などを目的に市内を走る路線バスの運賃を最大で200円にするキャンペーンを2023年12月1日から期間限定で行うことになりました。
岡山市内に路線網を持つ宇野バス、岡電バス、下電バス、中鉄バス、中鉄北部バス、東備バス、八晃運輸、備北バス、両備バスの9社の路線が対象で、(高速バス、コミュニティバス、岡山空港と倉敷駅を結ぶ直行便のリムジンバス、下電バスの興除営業所から倉敷駅・倉敷成人病センター間は除きます)通常と同様に運賃を支払いますが、200円を超える運賃は岡山市が負担します。
例えば、主な路線では岡山駅発着の場合は東山電停前、岡南営業所、今村宮、万成、明誠学院前、玉柏の各バス停以遠では通常より安くバスを利用できます。市内発着の対象路線のうち、最も運賃が高いのは中鉄北部バスの天満屋バスセンター~真庭市勝山の2220円ですが、こちらも運賃が200円になります。このキャンペーンは12月1日から2024年1月3日までの34日間行われます。
■「運賃無料DAY」も対象 バス会社に聞く秋の行楽おすすめ路線 備北バス【岡山】 2023-1007OHK
■「運賃無料DAY」も対象 バス会社に聞く秋の行楽おすすめ路線 宇野バス【岡山】 2023-1007OHK
■2023年も岡山市が夏と秋に「運賃無料デー」2023-0510 岡山放送
8月6日(日)、9月3日(日)、10月8日(日)、11月3日(金・祝)、11月5日(日)のあわせて5日間
令和4年度の岡山市の路線バス路面電車無料デーの効果と経済分析が発表されました。
概ね2倍程度の利用があり、特に外出しなかった人の誘発効果があり、市街地の経済効果も明らかになりました。
バスは来年パルマで市民カードを持っている人のために無料になります 。 これは月曜日にパルマ市長のホセ・ヒラによって発表され、バレアレス政府のモビリティ・住宅大臣であるジョセップ・マリが同行し、市営交通会社(EMT)がこのチップを補うために約20万ユーロを受け取ることを指定しました。 このようにして、市内に市民カードを持っている人は、2023年を通してパルマのEMTのバスで無料で旅行することができます。お持ちでない方は、チケットの料金を支払う必要があります。 この措置には2つの目的があります。ヒラは、一方ではウクライナ戦争に起因する価格の上昇に直面した家族を支援することを目的としており、他方では持続可能なモビリティへの取り組みであると説明しました。2023-0201
■公共交通が無料になった!赤字のバスやモノレールをあえて乗り放題にした北九州市「便利さを実感してほしいから」2023-0904RKB
■岡山市からの路線バスなら遠距離でも200円に…冬に利用促進のキャンペーン実施へ【岡山】2023-0830 OHK
■北九州市内で公共交通無料デー 9月~11月で3回実施 福岡県内で初の取組 2023-0804 鉄道チャンネル
■長崎バスマニアの中学生 全路線制覇に挑戦! 「運賃無料デー」に ひたすら揺られ続け 2023-0629長崎新聞
■運賃無料イベントで見えた地域公共交通の「未来」 とさでん交通「無料・ワンコイン施策」成果は? 2023-0502東洋経済
■宇部市は5/5の新川まつりに、路線バス無料デー2023-0402情報
■島根大学の学生にバス無料チケットを配布…ただし新入生限定!その狙いはバス利用予備軍の育成 2023-0407山陰放送
■神奈川中央交通、4月1日より小児のバス利用運賃を一律50円に 「小児IC」利用で適用 2023-0224 AMP
コロナ下で鉄道バスのサービスレベルを「お客様のご利用状況に合わせて」減便するのが、妙にトレンドになっている。また雪や雨で予防的に止めるのが当たり前にもなってきた。
そもそも安全確保は大事とはいえ、一方で自動車を利用できない人、高校生、高齢者、旅行者、病弱な人々にとっては、電車バスは生活や命を繋ぐものでもあるはず。規制緩和以降の運輸行政と事業者の姿勢、自治体の姿勢は、「最小限の足の確保」に汲々として、「本来公共交通に必要なサービスレベル」を確保しなくなっている。典型例は、鉄道のトイレや駅舎の撤去だろう。自らの優位性をかなぐり捨てて、一方で「駅ナカビジネスにいそしむJRグループ」の姿は、悲しくもある。
かつて鉄道マンもバスの運転手も、あこがれの職業だった。いまいる事業者の幹部にも、鉄道やバスの使命感に誇りを持って入社した幹部はまだいるはずだ。新自由主義に毒された資本の論理にたいして、現場でも立ち上がってほしいものだ。
昨日入稿したRACDAの広報冊子「クリーンモバイル岡山倉敷連星都市圏3」では、鉄道バスのサービスレベル論議が沢山ある。是非ともこの議論に参加し、全国の悪しき流れを断ち切っていただきたい
■「時刻表が薄くなる日」発刊 上岡直見 緑風出版
日本の鉄道創業から150年にあたる2022年、長年築き上げた鉄道ネットワークを破壊しかねない政府の方針が提示された。輸送量の少ないJRローカル線の廃止を促進する内容である。一方でJRは一人百数十万円の料金で豪華なクルーズトレインを運行している。
「一生に一度は乗りたい列車」より「一生乗り続けられる列車」を走らせるべきではないのか。このままでは新幹線と大都市の通勤路線しか残らず「時刻表が薄くなる日」が迫っている。鉄道の活用による持続的な交通体系を考える
■常識だと思っていたことが実は、(世界の鉄道の常識)2023–0808 山陽新聞社説
常識だと思っていたことが実はそうではなかった。そんな気付きは時折あるだろう。先に岡山市であった金山洋一・富山大特別研究教授(都市・交通政策)の講演も驚きだった▼JR四国は、瀬戸大橋線を含めて全路線が赤字である。路線存廃の協議も提案されていて、経営は極めて厳しい。それでも、1キロ当たりの輸送密度はスペインより多いなど、欧州の国々からすれば普通のレベルで、卑下する話ではないという▼その欧州では、10万人規模の都市でも頻繁に列車が走るなど鉄道が便利だ。日本のように運賃収入で採算を取るのではなく、公共サービスとして行政が責任を持ち関与する。それが世界標準であり、公共交通を無料にする都市も出てきた▼日本には東京や大阪など世界の中でも巨大な大都市圏があり、鉄道が民間の採算ベースでも成り立った経緯がある。世界でもまれな状況と言える▼そんな大都市圏を基準として公共交通政策を決めることの弊害を金山氏は指摘する。もし欧州に日本方式を当てはめたなら、多くの鉄道が廃線になるだろう、と▼日本では今まさに、地方路線を中心に廃線や減便など、交通崩壊の危機に直面する。「今後、地域がどう衰退していくのか、世界の都市・交通の研究者が注目する壮大な社会実験だ」。“ガラパゴス化”した日本方式への警鐘だろう。
■国交省が「ベビーカーからのお願い」を発信。子ども用車いす、2人乗りベビーカーへの理解も呼びかけ 2023-1109ハフポスト
■利用されない指定席券売機 やっぱり「駅の窓口廃止」は間違っている 2023-1110 ビジネス
■島原鉄道「退職者が出たので運行できません」昼夕の3往復を運休へ 運転士不足が深刻化 長崎 2023-1005 乗りものニュース
■「四国新幹線」実現へ加速か!? 愛媛県がJR西日本に直接要望へ 新大阪~松山「たった1時間半」 2023-1001乗りものニュース
■沖縄の修学旅行 バス1200台分が手配できず 深刻な運転手不足 コロナ禍の退職で従業員戻らず車両削減も影響 10-12月試算 2023-0929 沖縄タイムス
■「赤字ローカル線」再構築、“最適解”はどれだ…国・自治体・鉄道で探る 2023-0929 日刊工業新聞
■ローカル鉄道「再生」へ大変革!? 10月法改正で「鉄道の再構築」ルールが明確化 2023-0930乗りものニュース
■町に200近くも橋があって「便利さ保てない」 人口減で税収減見込まれ、膨らむ修繕費用懸念 老朽化した橋の規模縮小へ 2023-0929信濃毎日新聞
■背景に“年収の低さ”も…運転手不足で全国でバス減便『2024年問題』を前に深刻化 2023-0928 テレビ朝日
■突如訪れた衝撃!! バス事業廃業という現実がヤバすぎる!! 2023-0927 ベストカー
■日本中の撮り鉄が殺到!?引退間近「伯備線」国鉄型車両の超レア度 2023-0923 アサ芸プラス
■六角精児さん「芸備線の今後、住民が考えてほしい」 昨年プライベートで乗車し感じたこと 庄原市でローカル線シンポ 2023-0923中国新聞
■動き始めた「四国新幹線」“機は熟した”…本当に実現する?そもそも新幹線は必要? 2023-0909 南海放送
■四国新幹線の推進「ハードル高い」 岡山県知事のバッサリ発言にみる、埋めようのない四国・岡山の温度差 2023-0725Merkmal
瀬戸大橋線岡山市内の複線化さえ出来ていない。これをやれば、岡山都市圏の強化になるだけでなく、四国連絡特急の時短、10分程度は短縮される。四国内はまずは予讃線高速化だ。今治回りが30分余分になってるので、小松からトンネルで抜く。あとカーブ改良や行き違い施設増加、最高速度160kmで、岡山松山は90分には出来る。高知徳島に新幹線は厳しい。。
要するに、在来線高速化にもっと大胆に新幹線予算を振り向けて、「新幹線」て呼べばいいのだよ。制度設計の問題。
サンプルはホクホク線だが、トンネルばかりじゃ、観光には向かない。山あり谷ありの景観は、観光にはいいが、崖と谷で崩れやすい。
毎年香川県経済同友会は、岡山経済同友会との懇談会に、香川県側は四国新幹線を持ってくるが、岡山側で反応してるのは私一人。高速化さえ望む動きは岡山側にはないが、四国新幹線は本当は、首都岡山には大きなメリットがある。フル規格は全く必要ないが。
■「ほぼ全社赤字という大変な状態」全国の公共交通経営者らが円卓会議 国などへの提言まとめる 岡山 2023-0810 KSB
利用客の減少で厳しい経営が続く地域公共交通の経営者会議が岡山市で開かれ、国などに制度改革などを求める共同提言を発表しました。会議は両備グループのシンクタンク地域公共交通総合研究所が呼び掛けたものです。オンラインも含め、北海道・広島・愛媛・熊本などの私鉄やバス会社の経営者ら8人が出席しました。2023年5月から6月にかけ研究所が行なったアンケート調査では、3分の1の事業者が「コロナ禍による赤字を回復するのは不可能」と回答しています。そして、補助金による赤字補填から、自治体が車両などをリースし民間が運営する「日本型公設民営」へ移行すべきなどといった国などへの共同提言を発表しました。(地域公共交通総合研究所/小嶋光信 代表理事)「経営が成り立つような新しい仕組みですね。生活をしていくためにお役に立つような移動というものは、何かということの提言をしっかりしていきたい」会議では、各事業者から路線バスの赤字額と補助額のギャップや、ドライバー不足などの課題が報告され、議論されました。
(コメント)各地方の有力バス会社の経営者が一堂に会して、一般公開で実態を発表したのは、圧巻だった。企業の本音が本当によく分かったが、各社の社長が束になって国交省に「お願いする」という側面がどうしても目立ってしまった。やはり民業中心で、採算をおっかける日本独特の事情の問題点が、むしろ顕在化したとも言える。しかし西鉄、熊本、広島などではサービスレベルを上げる取組みやまちづくりとの連携の動きがあり、それぞれの社長達が情報交換したことは意味があるかもしれない。だけれども、本当はここにJRグループが入っていればとおもう。次回は是非、この諸都市の自治体局長クラスの討論を聞きたいものだ。
■住民の要望受け、千葉県君津市で廃止した路線バス区間が復活 2023-0905朝日新聞
■駅から高校まで4km…滋賀・米原市が通学支援、定期券配布の実証実験 2023-0905 毎日新聞
■踏切トラブルで「ことでん」社長が辞任 交通再編の旗手でも苦境…ローカル線に未来はあるか 2023-0904デイリー新潮
■みどりの窓口閉鎖で「駅が不便になった」 替わりの券売機プラスは待ち時間長く記者も閉口 2023-0828 中国新聞
■地方で「病院に行くアシがない」問題も噴出! いま全国的に路線バスの運行本数が減少しているワケ 2023-0822 Cartop
■京都を襲う「タクシー絶対不足」 観光公害でお盆も大混乱、「全然捕まらない」と悲鳴が上がった一部始終とは 2023-0822 Merkmal
■ローカル鉄道の存続に愛媛県知事「国会議員は声を大にして暴れてほしい」 “赤字路線切り捨て”の動きに警戒感 2023-0810アイテレビ
■東海道新幹線 車内販売が消える2023年に想う、そのショックの先にみえる新たな新幹線利用スタイル 2023-0813 鉄道チャンネル
さすが鉄道の旅を単なる「輸送」と考えているJR東海らしい、サービスカット。トンネルばかりのリニアに、旅の楽しみはあるのか、なんて、考えないのだろう。内田百閒は東海道新幹線が出来たとき、「そのうち人は、ほとんどの時間を移動ばかりしていることになりはしないか」と述べた。また「世の中には何でも知ってる馬鹿がいる」とも。まさに情報化社会を象徴している。
■赤字ローカル線の惨状、本当に「人口減」が原因か 2023-0623 東洋経済
まさしく同感。人口減の原因がむしろ、公共交通衰退であると思える。
■北海道新幹線「並行在来線」問題 現状放置で地域衰退の道庁政策姿勢が厚労省セミナーで浮き彫りに 2023-0804 Yahoo!
■スト実施のバス会社、非正社員にも夏賞与 「同じ仲間」労組の要求で 2023-0804 朝日新聞
■高速はこだて号、大幅減便の衝撃 北海道のドル箱路線にいったい何が!? 2023-0803 yahoo!
■ローカル線の存廃議論含む「協議会」JR西が設置要請へ 全国初表明 2023-0802 朝日新聞
■中国ジェイアールバス㈱ 公共交通計画推進に影響懸念 来年3月末で路線バス撤退か 2023-0801 日刊新周南
■「赤字ローカル線は即廃止」 ネットにはびこる“採算論者”に決定的に欠けた公共的思考 2023-0730 Melkmal
■「バスは地域の足」新潟市内のバス運賃 9月から“値上げ”で問われる持続可能な公共交通のあり方 2023-0728 新潟放送
■<社説>並行在来線 経営分離、枠組み見直せ 2023-0727 北海道新聞
ついに北海道新聞が、社説で小樽余市などの存続再検討を取り上げる
■新幹線で成り立っているJR東日本「黒字の路線で赤字の路線を支えたくない」ならば見直すべきポイントとは 2023-0722 Yahoo
■函館線、貨物維持へ 函館―長万部間 4者合意、新幹線延伸後も 有識者会議で課題議論 2023-0719 北海道新聞
■「九州の鉄道」が豪雨に弱い理由、利用者減少で対応迫られる“5つの路線” 2023-0718 ダイヤモンド
■東京・神田に「木次線スイッチバックの巨大ジオラマ」がやってきたぞー!!2023-0718 Yahoo!
■鹿児島市などで運行のスクールバス 一部廃止・減便検討 鹿児島交通 2023-0711KTS
■“新潟交通”の路線バス運賃 新潟市内210円⇒260円の申請に…「値上げ幅大きすぎる」 審議会で議論 2023-0710 新潟総合テレビ
■バス・タクシーが荷物を運び、トラックは旅客を運送!「貨客混載」解禁、運転手不足・過疎地域への配達…打開策となるか 2023-0708東京FM
■「現実直視を」「営業努力が足りない」…赤字ローカル線の存続巡り、市長とJRが応酬 2023-0707 読売新聞
■デマンド交通で、運行費用は本当に安くなるの? 2023-0705 公共交通トリセツ塩士圭介
■JR「みどりの窓口」駅から姿を消すのはなぜ 発券の待ち時間増えたか 2023-0629 京都新聞
■バス・タクシーなどの乗務員不足を解消 両備グループが約200人を一括採用へ 2024年問題も見据え 2023-0628KSB
■「JR北海道が42駅廃止検討」報道、宗谷本線の駅がごっそり消える? 2023-0626 マイナビニュース
■千歳の路線バスが24時間のストライキ その背景には一体何が?従業員らの低賃金そして安全への疑惑 2023-0612 そだち
■四国新幹線「四国4県が岡山ルートに賛成」香川県の池田知事「四国が一丸になって早期の実現へ」 2023-0605 RSK
■四国新幹線のルート案が「岡山ルート」で一本化 JR四国社長「実現へのハードルは下がる」 2023-0530 KSB
■日野自動車 三菱ふそうトラック・バス 経営統合で基本合意 2023-0530 NHK
■新車両Urara 7月運行開始 JR岡山支社、山陽線などに導入 2023-0529 山陽新聞
■公共交通「国主導」で再構築議論 JR予土線県内沿線3市町長 廃線の動き加速警戒(愛媛) 2023-0529愛媛新聞
■低迷続きの福岡「七隈線」が、たった「1.6キロ」の延伸で「超混雑路線」になったワケ 2023-0528メディアビジネス
■日田彦山線BRT、1日32本運行 鉄道時代の1・5倍 2023-0526 産経新聞
■赤字ローカル線の行方は… 「地域公共交通の再編」議論進む 高松市で全国初の説明会【香川】 2023-0525 OHK
■「街から高校生がいなくなる」少子化の影響を受ける地方都市 地元の高校サッカーチームが取り組む対策とは 2023-0524SPORTIVA
■「非運輸部門を4割に引き上げ」JR西日本長谷川社長 関西プレスクラブ講演 2023-0524 産経新聞
■「駅の郵便局化」拡大へ 日本郵便が運賃の精算なども 2023-0511乗りものニュース
■台湾の列車とクレーン衝突事故、監視カメラ映像から分かった衝撃の事実― 2023-0511 独メディア
飛行機の自動着陸のカテゴリー3は実現してからもう数十年たつが、パイロットが3人から2人に減っただけだ。そもそも乗客を乗せる大量輸送機関では、専用軌道以外は自動運転は危険だ。だが今回の事故では、事前想定をどこまでやるか、その感知のセンサーはどうあるべきかが問われると思う。まだまだ機械は人知に及ばないことを示したと思う。
■北海道、リゾート化と縁遠い「旧胆振線」の疎外感 新幹線開業後は函館本線も代替バスの倶知安側 2023-0504東洋経済
■JRローカル線減便でやむなくバス下校 週2回、兵庫・赤穂の小学生 停留所多く帰宅に時間、低学年だけの乗車区間も 2023-0427神戸新聞
■どうなるJR四国の路線 国の方針に愛媛県知事「乱暴すぎる」 2023-0427 あいテレビ
■北海道の貨物網存続、国やJRなどが協議 6月に論点まとめることに 2023-0426 朝日新聞
■JR四国3路線4線区、存廃議論の候補に 予讃線海回りなど社長意向 2023-0425 朝日新聞
案の定というか、法改正を待ち構えていたみたいな事だよ。鉄道大国だった日本国が、鉄道を放棄している典型だね。
狭くて細い国土の日本では、鉄道は温暖化対策としても、エネルギー対策としても、もっと活用されてしかるべきだ。
いち民間企業のJRが、国の将来を決めて良いのか、国の関与が薄すぎる。
■路線バスが“24時間ストライキ” 「終日運休」貼り紙に住民困惑 2023-0425 テレビ朝日
五年前に岡山でのストを必死で止めて、無料ストを提案したけれど、是非無料デーにして欲しかったねえ。
■東急の五島慶太が計画した「札幌急行鉄道」の全貌 公設民営制度が進化、「構想復活」の可能性は? 2023-0425 東洋経済
■食堂車も2階建て車両も反対を押し切って廃止した故・葛西敬之氏の「ヤバすぎる合理的経営」 2023-0422 現代ビジネス
東海は新幹線会社、西は不動産会社、九州はななつ星会社、東は東京会社、そして北海道は何も目指さなかった。さてさて、四国位は「地域会社」を目指して欲しいね。結局、30年の総括をせず、未来のレールを引けない現状だ。国はチャントJRを指導しなさいよ。
ところで、内田百閒は「食堂車にはスピードという味付けがある」と言った。鉄道文化論と対極にあるのが、東海道新幹線だ。
■貨物新幹線、積替基地の構造を公表。JR貨物が駅施設の特許出願 2023-0420 タビリス
■遅延ひどすぎて「ダイヤ分割」近鉄バスが実施 途中の駅前バス停で「無料乗継」対応へ 2023-0417 乗りものニュース
■「バス運転手不足」首都圏でも顕在化 小湊鉄道が路線バスを大規模減便 高速バスも (msn.com) 2023-0415乗りものニュース
■JR赤穂線 備前片上ー長船の運行本数、3月改正前に復元 5月8日から、高校生の利用見込み 2023-0414 山陽新聞
おそらく備前市fJR西日本に掛け合ったのだろう、本来地域がJRともサービスレベルを協議しないといけない。いい兆候だ。
■バスが2時間に1本「つらかよ」 需要あっても細る地域交通 2023-0407 西日本新聞
■「早く行け殺すぞ!」増加する“交通カスハラ” 背後から蹴られ・首をつかまれた…業界実態調査 働く人の約5割が「迷惑行為にあった」2023-0407 FNNプライム
■JR四国の新たな顔は外国製に? 国際調達される「新型ハイブリッド式気動車」とは 新着2023-0405 乗りものニュース
■【日本ハム】新庄監督が語った新球場の課題「今のままなら7、8回で席を立つ」神妙な面持ちで… 2023-0327 東スポ
■関西、住みやすさ磨け 関鉄協都市交通研・正司健一所長 2023-0301 日本経済新聞
創立時からのRACDA会員の庄司さん登場、内田百閒顕彰会以来、知遇を得ている
■「もっと遅くまで走らせて」 終電の「繰り下げ」ローカル線で相次ぐワケ しぼんだ深夜に打って出る 2023-0301 乗りものニュース
■赤字は当たり前 元国鉄・元JR「三セク鉄道」が生きる道 2023-0225 毎日新聞
■「余市―小樽間」路線バスの現状、鉄道20分に対してバスは50分 2023-0224 CREATORS
■なぜラッシュ時間帯の本数を減らしてしまうのか…鉄道会社が”ダイヤ改悪”に踏み切る切実な事情 2023-0224プレジデント
■終電「51分繰り下げます」 異例の大幅ダイヤ改正 ことでんが踏み切った理由 202-0224乗りものニュース
■「サイクルトレイン」導入へ鉄道各社始動 観光や買い物で新たな需要開拓へ 2023-0222 産経新聞
■「余市ー小樽間」鉄道再生は可能、協議会で黙殺された有識者提案 2023-0217 CREATORS
■【鉄路と生きる】福島県7割、市町村3割案 磐越西線復旧費 地元負担4分の1に 鉄道軌道整備法適用へ 2023-0217 福島民報
■運行本数は週わずか2便!かつて存在した夕張鉄道(夕鉄バス)の幻のバス路線 2023-0214 Yahoo!
■“乗りすぎないでおくれやす” 京都で「バス1日券」廃止のなぜ 2023-0210 NHK
■「利用者減と運転手不足で年間走行距離の維持は困難」新潟交通が市に理解求める 2023-0210 新潟放送
運転手不足は原因でなく、低い給与と報いられない労働の結果だ。それを効率化とかで解決できるものではない。地方の公共交通を守るという後ろ向きな取組みでは無く、魅力有るサービスを提供し、やりがいのある職場にしなければ、この国の衰退は止まらない。
■赤字路線】存続の危機…JR大糸線 魅力発信へ 地域おこし協力隊が模索【新潟】 2023-0209 新潟テレビ
■「攻めの廃線」とは何だったのか!?鉄道路線消えた夕張のその後 2023-0206 Yahoo!
■「混雑で疲れ果てる」「ひどい」福岡都心のJR減便、相次ぐ苦情 2023-0205 西日本新聞
■ナショナルミニマム不在の医療・交通シンポジウム2/26 2023-0206 島根大学附属病院
申し込みはホームページから
■まるでバス停? JR四国が進める駅舎の簡素化めぐり、異論続出 2023-0204 朝日新聞
鉄道に期待するのは、バス並ではないということ。鉄道と場の役割の違いを自覚するべきだ
■バス免許保有者の81%が50代以上、「鉄道の廃止」で地域交通崩壊の危険 2023-0202 CREATORS
■JR山陰線など赤字4路線…兵庫県が利用促進策『定期券購入補助』『観光ツアー』など 2023-0202 MBS
一見進展したように見えるも、これではまだまだ手ぬるい。
■『観光客で混雑して市民がバスに乗れない』批判相次ぎ…京都市バス「1日券」を廃止へ 2023-0201 MBS
折角の利用者を制限しようとするのは、逆行だろう。京都のしない観光には、本来トラム建設が必要だ
■山陰本線から交通革命が起こる? 自治体団結「交通連合」、ローカル線を救うため事業者依存から脱却だ 2023-0131 Merkmal
交通連合や共同経営も必要だが、そもそも国の姿勢が問われている
■四国新幹線、実は各地に存在する「敷設への伏線」 線路用地や不思議なトンネル、瀬戸大橋にも 2023-0130 東洋経済
■暮らしを支える交通政策(8) 「PSO」でサービスを担保 関西大学教授 宇都宮浄人 2023-0126 日本経済新聞
■ローカル線存続へ議連 3月に発足 沿線8市町、利用促進など連携 2023-0126 山陽新聞
■“運賃無料デー”や“ご当地ガチャの設置” 赤字路線の利用者アップへ アイデア捻出【岡山】2023-0126 岡山放送
■駅から徒歩1時間の場所に県庁!?57年前、何をするにも不便な場所に移転した理由とは 2023-0126 CBC
■最強寒波で列島大混乱 専門家が指摘「この程度の雪でこんな大混乱になる鉄道になってほしくない」2023-0126 スポニチ